How to Breathe

新刊哲学書の比較的詳細な書評

マーティン・ヘグルンド『ラディカル無神論』(書評)

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マーティン・ヘグルンドのデリダ論(『ラディカル無神論』)の明晰は称賛にあたいするものだが、それにはどうやら代償がともなっているようだ。ヘグルンドは、「望ましいもの」はすべて《変転しうること、頽廃しうること、そして汚されうるということ》を免れないといっているが、わたしは以下のポレミカルな書評が、この表現の真実を明かすものであったらと願っている。《これらの脅威は望ましいものすべてにとって本質的なものなのであって、それらが除去されることなどありえないのだ》。*1
 ヘグルンドの明晰の理由は、おそらくデリダの前期から後期にいたるまでの基底動機を、一貫して超越論哲学の用語でとり出していることに求められていいだろう。ヘグルンドは「間隔化(espacement)」を、デリダの最重要概念とみなしているのだが、その概念の説明がほとんど超越論哲学の用語でなされているのは、デリダ自身の説明とは対照的なことである。ヘグルンドが序文で説明しているところによると、彼の議論の狙いは、デリダが必ずしも詳細に練り上げたわけではない、「時間の空間化」と「空間の時間化」(これらをセットで述べたものが「間隔化」である)の議論を定式化し、そこから一般的な帰結を引き出すことである。
 では、ヘグルンドはデリダの間隔化をめぐる議論をどのように理解しているのか。彼は、デリダの「差延」論文からある箇所を引用したあとで次のように述べている。《間隔化とは、〈時間が空間になること〉と〈空間が時間になること〉とを同時に言い表すための簡潔な術語であり、これが原−エクリチュールや差延の定義ともなっている。私が主張したいのは、デリダの定義を詳しく考案することで、根源的な綜合を分割不可能な現前性に基づけることなく説明することによって、時間性をもっとも厳密に考えることが可能になるということである》(37頁)。またそのすぐ後で、《時間の空間化が綜合を可能にするとすれば、空間の時間化は綜合が一個の分割しえない現前性に基づくことを不可能にする》と続けられている。こうした定式化が、少なくとも「問題含み」なものであることを論証するのはきわめて容易だ。ここでは、いささか「症候的」なアプローチをとることで、――すなわち、ヘグルンドのこうした定式化が「排除」しているものに眼を向けることで、その排除(読解の歪みと抑圧)が代償をともなうものではないのか、これを問うことにしよう。最初の引用は、ヘグルンドの引用(デリダ「差延」から)で、二番目の引用は、ヘグルンドが引用のなかで中略している箇所の復元である。

力動的に自らを構成しつつ自らを分割するこの間隔、これがつまり間隔化すなわち時間が空間となること、あるいは空間が時間となること(時間化[temporization]と呼びうるものである。そしてまさしくこうした〈現在の構成〉――[……]「根源的な」、また縮減不可能なほど非単一的な(つまり厳密な意味で非根源的な)しるしの綜合としての――こそを私は原−エクリチュール、原−痕跡、ないし差延と呼ぶことを提案しているのである(36頁)

(……)すなわちここで類否的かつ臨時に現象学および超越論の言語を再現して言えば(とはいえこうした言語が不適切であることはすぐに明らかになるが)、もろもろの過去把持および未来予持の標記・痕跡からなる (……)(強調引用者)*2

なぜヘグルンドがこの箇所を省いたかはあきらかだろう。「時間の空間化」「空間の時間化」「綜合の条件」「可能にする」「不可能にする」等々、こうした語彙は超越論哲学(カント、フッサール)の語彙であるとともに、デリダ自身の語彙でもあるのだが、デリダはそれが暫定的なものであること、「臨時的」なものであることを強調している。そして超越論哲学と伝統形而上学の語彙が臨時的なものであることからくる帰結は、まるごとデリダの――ヘグルンドが隠蔽しているとはいわないまでも、少なくとも対決を怠っている――重要な問題系と繋がっているのである。こうして、ヘグルンドが省略とともに定式化する「痕跡の綜合」とは、次のようなものである(念のため超越論哲学の語彙に属するものを強調しておこう)。

痕跡は必然的に空間的である。(引用者:ここで「なぜ?」という問いを立てたら、「必然的に」超越論哲学の用語に送り返されることになるだろう。ということで、)なぜなら、時間的な契機にかかわらずとどまりうるということが、空間性の特徴だからである。空間性とはそれゆえ綜合の条件である。なぜなら、それによって過去と未来とのあいだの諸関係を跡づけることが可能になるからだ。しかしながら空間性は、決してそれ自体として存在することはできない――それは決して純粋な同時性ではありえないのである。同時性は、ひとつの空間的な点を他のそれに結びつける時間化なしには考えることができない。(37頁)

こうした理論的態度が問題含みなものとなるのは、超越論哲学の用語によって定式化された「痕跡の構造」が、何か――「痕跡の構造」が脱構築することになるはずの超越論哲学によっては、説明できない現象――を説明するものであるとみなされるときである。しかしわたしの考えでは、痕跡とは何よりもまず(みたままに)隠喩であり、それは何かを説明するというより、未知の現象を指示したり、問題の所在を示したりするものである。さらに、痕跡の「論理構造」などということは、デリダの修辞がつねに周到であったことをおもうなら、(それを強調しすぎると)それ自体へぼ詩人の詩作のようにみえてこざるをえない。これらの点には少しさきで戻ってくるつもりだが、まずは、デリダ自身がみずからの基底動機を超越論哲学の用語で立てたとき、どのような留保をつけていたか確認しておこう。以下は、いま引用したヘグルンドによる間隔化ないし痕跡の、(超越論哲学の用語での)説明の直後に続けられてもおかしくないものである。

実を言えば、われわれはこうした命題を述べることによって素朴さのうちにいる。われわれはまるで空間と時間の差異が自明な規定の差異としてわれわれに与えられているように振る舞っている。ところがヘーゲルとハイデガーの指摘するとおり、空間時間を別々の二つの概念もしくは二つの主題として扱うことはできない。ひとが空間と時間を二つの可能性として自分に与え、その上で両者を比較したり関係づけたりするなら、そのたびごとにひとは素朴に語っているのである。そのようにして、空間あるいは時間とは何であるか、一般に本質とは何であるかを知っていると思い込み、そしてその本質の地平のうちで空間や時間の問いを指定しうると思い込むならば、とりわけそんな場合には、そのたびにひとは素朴に語っているのである。そのときひとは次のことを自問することもなく、空間および時間の本質についての問いが可能であると想定している。すなわち、この問題に関して本質は問いの形式の地平でありうるのか、さらには本質というものの本質は時間空間にかかわる或る「決定=決断」から出発してひそかに――ほかでもなく現在性=現前性として――あらかじめ規定されてしまっているのではないのか、このことを自問しないのだ。だから空間時間を関係づけるには及ばないのだ。*3

つまるところ限界はヘーゲルとハイデガーなのだ。ヘグルンドはその限界をたぶん認識していない。そしてそのせいで、その限界の裏をかこうとするデリダの(修辞)戦略を問うことができていないのだ。
 ヘーゲルとハイデガーの名前があげられているのは、結局彼らが――ある意味において――「素朴さ」を回避した哲学者と考えられているからである。そしてデリダが強調しているのは、空間時間を関係づける語りは、その本質、その何であるかをそもそも知っているという想定のうちにあるということである。この想定がまったく不可避のものであるとしても、そうした素朴さを問わないときには、奇妙な仕方でその素朴さのうちに閉じ込められてしまうだろう。これがこのおよそ複雑なテクスト(「ウーシアとグランメー」)の結論のひとつであった。

おそらく「通俗的時間概念」などというものは存在しないのだろう。時間概念は徹頭徹尾形而上学に属しているのであって、現在性=現前性の支配の名称である。したがって次のように結論せざるをえない。すなわち形而上学の概念体系全体はその歴史全体を通して時間概念の前述の「通俗性」の展開である(ハイデガーもこれについてはきっと意義を唱えないだろう)が、しかしそればかりではない。そうした「通俗的時間概念」にもう一つ他の時間概念を対置することもできないのである。なぜなら時間全般が形而上学の概念性に属しているのだから。そうした他の概念を産出しようと欲しても、やはり形而上学のもしくは存在−神論の術語でもってその概念を構築するはめになる。*4

それを自問するときですら、「素朴さの閉域」を逃れることはできない、という示唆がヘーゲルとハイデガーの名前には込められている。「形而上学の閉域」とは素朴さの閉域そのものなのであって、ヘグルンドがそれを逃れられていないことが一見して明らかであるとしても、大事なことは、デリダがそれを逃れるためにどんな戦略を編み出したのかということである。ヘグルンドはヘーゲルとハイデガーを「抑圧」しているせいで、ヘーゲルとハイデガーがどのような仕方でその閉域を逃れようとこころみたかということはおろか、その試行に対する「応答戦略」として定義できるはずの、デリダ自身の「論理」をも見逃してしまっているのだ。フロイトが正しいなら、抑圧されたものは回帰する。ここで論証することはできないが、「生き延びの欲望」という奇妙な概念とラカン派への安易な批判は、その症候のようにわたしにはみえる。
 わたしはさらに、(デリダ自身の戦略がはっきりと浮彫になっている)「ウーシアとグランメー」の最後から二番目のパラグラフを引いて、ベグルンドに対する「反論」としたい誘惑に駆られる。

そうだとすれば認識しなくてはならないのは、こうした痕跡に関するあらゆる規定――すなわち痕跡に与えられるあらゆる名称――はそれが規定であるかぎりで、痕跡を保護する形而上学のテクストに属しているのであって、痕跡それ自体に属するのではないということだ。(……)ハイデガーは適切にも、差異はそれとしては現れえないと言っている(……)。差異は痕跡(である)が、この〈差異という痕跡〉の痕跡はそれとしては、言い換えればその現前性においてはとりわけ現れることができないし、名づけられえない。それとしてまさしく永久に隠れ去るものが〈それとして〉なのである。したがって差異を名づけるさまざまな規定はつねに形而上学の秩序に属している。そして差異を現前と現前者(Anwesen/anwesend)との差異へと規定することばかりでなく、差異を存在と存在者との差異へと規定することもすでに形而上学の秩序に属するのだ。存在の到来形式そのものだったとされるギリシア的忘却に即して、存在とは存在者以外の何ものをも決して意味したことがなかったのだとすれば、差異はおそらく存在そのものよりも古い。存在と存在者との差異よりもはるかに思考されたことのない或る差異があるのかもしれない。だからと言ってわれわれの言語においてその差異をそれと名指すこともやはりできないだろう。存在と存在者の彼方でたえず(自己を)差延するその差異は(自己自身を)痕跡化するだろう。その差延は最初もしくは最後の痕跡であるだろう(ここでまだ起源や終わりといった言葉が使えるとしての話だが)。*5

痕跡そのものを形而上学の外部でいうことはできないが、それを、形而上学の歴史のなかで永遠に隠れ去るものとして示すことはできる。簡単にいうとそれが(少なくとも初期の)デリダの戦略なのだが、本質的にそれは、後期ハイデガーの戦略と異なるものではない。存在論的差異よりも古い差異は、たしかにヘグルンドが定式化している痕跡の構造と異なるものではないだろう。しかし前者が後者にひとしいとすれば、それが「存在論的差異よりも古い」(これは要するに、デリダのハイデガーに対する優先権の主張である)とはいえなくなってしまう*6
 ヘグルンドが述べているように、《他の思想家と同じように、たしかにデリダも首尾一貫しているとは言いがたいところがあった。だが、それらの一貫しない箇所を私のたてるラディカル無神論の論理に対抗しうる主張へとまとめるためには、実はそれらが首尾一貫していないわけでなく、まったく異なる論理がデリダのなかに働いていたことを証立てるものであるということが示されなければならない》。わたしはこの挑戦に応えることはできないが、といって無視もできないと感じるので、軽い示唆を与えておこう。
 脱構築は形而上学の限界を、隠喩によってキャッチすることだと安易に述べてしまっても、真実からそれほどかけ離れているということはないだろう(そして隠喩の情緒性を回避する戦略が、例の悪名高い「言葉遊び」なのだろう)。わたしは「間隔化」がヘグルンドの議論の出発点であるかのように述べてきたが、より詳細にみるならば、実際には「自己免疫性」の隠喩を説明することが論証の開始地点である。デモクラシーは免疫システム、それも「自己免疫性」を備えたシステムである。なぜなら、それは民主的な選挙によって非民主的な政権を誕生させてしまうことを妨げないからである。または、それを妨げようとすれば、非民主的な手法(合法な選挙の強権的中断)に頼ることになってしまうからである、云々。自己免疫性は後期デリダを特徴づけるタームであるが、ヘグルンドは、自己免疫性の思考が初期のデリダからずっと一貫するものであることを指摘している。そのさい最初の論点は、自己免疫性が無矛盾律と同一性の論理に背く(ものを思考可能にする)ということで、(詳述はしないが)ヘグルンドはここから、デリダの初期の仕事の中心的モチーフに切り込むことになる。いわば自己免疫性の軽いジャブを放ったあとで、現前性の形而上学の脱構築への移行するわけだ。ヘグルンドの「詩作」の見事なところは、必ずしもみえやすいとはかぎらない、痕跡と自己免疫性のふたつの隠喩を(きわめて説得的に)結びつけたことにある。しかし「構造」は、実際に説明を与える何らかのモデルとして機能するのでなければ、うまい隠喩とはいいがたい。そしてもしそれが現象のモデルとなるような構造であるなら、みずからに反する(自己免疫的)ということになるだろう!

    2

デリダの論理として指定するにふさわしいかどうかはさだかでないが、見逃すことができないのは、隠喩、代補、退隠の論理である。これらはどれも、奇妙なほどにヘグルンドの眼を逃れているデリダの決定的な語彙に属するものである。たとえば代補(supplement)の語が出てくるのは、例外的に一度はデリダからの引用のうち、もう一度は術語的意味を欠いた使用のうちだけである。これは奇妙な事実、事件とは言わぬまでも、清潔な部屋のなかから拭い去られた飛沫の痕跡のようなものではないだろうか? ここでひとつの仮説を、とりわけデリダ的な仮説を立ててみることは、許されるばかりか(この事件的な)場にふさわしいことだろう。すなわち構造なる用語は、いつでもひとつ(ないし複数)の抹消線のなかから姿をあらわすものとさだめられているのではないか、という仮説である。だとしたらわたしたちはそうした抹消線を、綺麗に掃除された部屋のなかから探し出すべきだろう。前節でわたしが(引用の文脈を復元することで)こころみたのは、まさにこのことだった。痕跡とはそもそも痕跡の抹消以外のものではないというデリダの根本動機は、ヘグルンド自身にも完全にあてはまる。痕跡の構造は痕跡の抹消である。そして抹消された痕跡は残存し、症候的な回帰をともなっているようにおもわれる。そしてそうした運動の全体を示すのが、代補という語彙で補填される「痕跡の論理」なのだ。
 この節では、この回帰してくるものの方に(駆け足で)眼をやってみよう。わたしは示唆することしかできないけれども、ここで着目したいのは、へグルンドによる「不可能性」という(超越論的な)語彙の用い方である。

定義上、主権=至高性は無条件的であるとされるが、それは自ら以外の何ものにも依存していない[それ自体で存在する]という意味においてである。ところがデリダによれば無条件的なものとは、あらゆる審級をあらかじめ分割し、それを自ら以外の何かに依存させる時間の間隔化であるとされる。Xを可能にするものは、同時にXがそれ自体で存在することを不可能にするものである[……](50頁)

時間的であることなしにはいかなるものも与えられないのだから、時間は無条件的に与えられている。与えられた時間はすぐさま贈与をそれ自体から分離して計算へと引き渡すのであり、それゆえ時間はエコノミーを可能にするものである。ところが与えられた時間は、エコノミーが閉じたシステムであることを不可能にするものである。というのも贈与の時間性は計算によって支配されないからだ。(74頁)

考慮すべき他者は潜在的には無数に存在し、なんらかの他者たちのために他の他者たちを排除することなしには、いかなる責任=応答可能性も引き受けることができない。責任=応答可能性を引き受けることを可能にするものは、同時に、あらゆる責任=応答可能性を十分に引き受けることを不可能にするものなのである。(強調原文。182―183頁)

さて、これらがすべて同型の表現であることはすぐにみてとれる。これらの表現のなかに含まれている軸は、時間の自己触発的でしかも異他触発的な形式であり、さらに(否定される軸として)現前の形而上学の形式のふたつである。後者はあるXがそれ自体で存在するということを多かれ少なかれ主張するのに対して、前者はそれが理念的にであれ充全なかたちで存在するということを否定する。実はこの「理念的にであれ」ということが重要なのだが、ヘグルンドの見たところ素朴すぎる表現は、そこで賭けられているものを見失わせてしまう。はっきり言っておくべきは次のことである。「Xを可能にするものは、同時にXがそれ自体で存在することを不可能にするものである」という表現の形式は、そのXが事実的存在か理念的存在かによってまったく異なった含意をもつ。実のところこの表現は、Xが事実的存在と見なされるならカントの超越論哲学の形式そのものである。Xがそれ自体で存在することが不可能であるということ、さらにその不可能性を導入するのとおなじものが、Xの事実的存在を可能にするということ、これらはカントにとっては可能な経験の領域から理念の領域を救い出すものの証言として与えられるだろう。一見したところ問われているのは主権、時間と経済の贈与、責任といった理念それ自体の不可能性であるかのようである。しかしデリダの周到な脱構築の所作が超越論哲学の用語で要約されるときの危険というものがまさにここにあるのだ。すなわちその危険とは、デリダをカントに急速に接近させてしまうか、さもなくば懐疑論か経験論の方に接近させてしまうということだ。そしてヘグルンドの解釈が示しているのは、この二つの方向性を一致させることも可能だということである。
 ベルグンドが充分に分節化していないようにおもわれるのは、理念それ自体の不可能性を主張する表現そのもののきわめて逆説的な形式である。「ある理念Xを可能にするものは、同時にXがそれ自体で存在することを不可能にするものである」。この表現そのものに含まれている不可能性は、たんに完全な責任や主権が事実的に不可能であるということのみに尽きるのではない。ここではまさに理念(構造)そのものの構成的開かれが問題となっているのだし、そしておそらくこの構成的開かれは、そのつど構造の思考とその脱構築のなかで問われる必要があるものなのだ(あるいは構造とはいわぬまでも、思考一般の逃れがたい有限性の形式との関係で)。それをヘグルンドがいう意味で一般化すること――すなわち、《痕跡はそれ自体存在論的な存在者ではなく、時間の空間化と空間の時間化を説明してくれる論理構造である》などということはできないだろう。
 デリダにとって、欲望やその他の経験がある種アポリアの経験であるのは自明なことであった。そのアポリアを問うことが、まさに脱構築の(とりわけ後期の)意味なのだ。たとえば「赦し」が不可能なのは、完全な赦しが可能ではない、という意味につきることではない。可能な赦しの方が不可能な赦し(赦しえぬことの経験)にもとづいているのだ。赦しを可能にするものの不可能性は、あらかじめ立てられた赦しの(カント的)理念などではないが、かといってそうした理念が現実的に不可能であるという事実をたんに意味しているのでもない。あるいは、だれかに対して責任を負うことは、(すべての他者に対して)完全な責任を負う可能性を排除するがゆえに、無条件的に有限な経験である、という主張につきるのでもない。それにつきるのだとすれば、それはほとんどカント以前的な(経験論的な)考えと区別できないはずだ。責任を負うことは、責任を負うことが可能ではないことに対してのみ、(逆説的に)可能な経験なのである。こうしたアポリアの経験と脱構築の関係(また欲望がこうしたアポリアとかかわる経験であること)について、デリダは次のように述べている。

ひとがそれらに一度も出会わなかったということ、それが一度も出来事も、経験も引き起こさなかったということ、それが一度も、起こりも到来もしていないということ、このことは一つの偶然の事実なのか。それとも逆にそれは、(……)欲望の条件そのものなのか――あらゆる概念構築が、そう言った方がよければあらゆる「概念」の「創造」が、考慮に入れなければならないような。したがって、(……)すべての「哲学」が考慮に入れなければならないような? 「脱構築」は、この経験そのもののなかで始まる。脱構築とは、このアポリアの経験であり、まずもってこのアポリアを経験することなのである。*7

これは経験論ではない。経験論的な立場は、そのようなアポリアの経験は、一度も経験されたことがなく、概念的に示そうとするなら、矛盾を免れないものなのだから、やはり存在しない(あるいは存在するとみなすことはナンセンスだ)とみなすばかりだ。デリダは、哲学(ないし形而上学)に反するものとして、経験論者の立場が可能であることをおそらく否定しないだろうが、それが哲学のふりをすることはあきらかに許容しなかった。ヘグルンドは、決定的には哲学のふりをしている経験論者なのではないだろうか。デリダの、経験論と哲学双方に対する愛のこもった次の表現(しかしこうした文章を、デリダ以外のだれに書くことができただろう?)を引いておこう。

経験論は結局のところたったひとつの過ちしか決して犯しはしなかった。みずからをひとつの哲学として提示するという過ちしか。経験論の数々の歴史的表現のうちいくつかのものの素朴さの下に、経験論者の意図の深遠さを承認しなければならない。それは、源泉において純粋に異他論理的な(hétérologique)ある思考の夢である。純粋差異の純粋思考たらんとする夢。経験論はかかる思考の哲学的名であり、その形而上学的野心もしくは慎ましさである。われわれが夢と言うのは、それが陽光にあたると、言語の日の出と同時に消え去るからだ。*8

この夢をあまりに多くのひとが(それと無自覚に)いまも見ている、と繰り返すことは蛇足だろうか。そしてこの夢を見ることは、狂気を排除せんとする哲学の歴史的運動が、みずからを裏切ってみずからの本質を開示してしまう、おそらく哲学そのものの欲動に由来するものである。それは、形而上学の歴史がみずからに課す制約そのものが見る夢であって、夢見る主体は決して、夢のなかで自分の姿を見ることはないのだ。

    3

「痕跡の構造」はいかなる意味で説明的機能をもつとされているのだろうか。ヘグルンドは最終的には痕跡の構造は《時間の空間と空間の時間化を説明してくれる論理構造》であるということになるのだが、これはいかなる意味なのか。しかしこのように問うことは、すでにデリダの意図からすると逆行に近いのではないだろうか。というのも、ここでいうデリダの意図とは、第一には説明的であるより批判的なものであったようにおもわれるからである。そして第二には、痕跡(の構造ではないにしても、概念の限界に生起する隠喩)を明示化することは、痕跡の(いわば)「発見的」側面を強調することだからである。痕跡の構造が説明的である場合とは区別される意味で発見的である場合とは、たとえばデリダが痕跡の「歴史的にして世界内的な形象」について述べているときの使用法である。それはすぐに見るように、技術の問いを提起することに直ちに結びつく。おそらく「痕跡の構造は説明的か」と問うことは、この技術への問いが視野に収められた後では、次のような問いに変貌することになるだろう。すなわち、「痕跡はなぜ起源的に代補的なのか」、もしくは「差延はなぜ代補の運動を必然的にともなうのか」。そして痕跡の構造を発見的と見なすことは、これらの問いに対してひとつの図式を与えることで答えることなのである。
 そもそも痕跡を発見的と見なすなら、そこで問題となっているのはあきらかに「構造」などではなく、せいぜい「図式」とでも呼べるような諸形象の緩やかな連合体である。その図式は、しかし概念の明確にさだめられた限界(脱構築が焦点を合わせる)において生起するものである。この場合には痕跡の図式は、根源的に隠喩的であるというより、根源的に隠喩的なものの図式(明示)化である。場合によっては次のように言うことも許されるだろう。図式としての痕跡は、説明を与えるものとしての構造がつねにすでに欠損したものであることを証言するものである、と。ところで、デリダの脱構築が形而上学の永遠の野望(たとえば「新しい超越論的感性論」のくわだて)から区別されるものであるとしたら、それは脱構築があくまで図式の水準にとどまろうとするかぎりでのことにすぎないのではないだろうか。わたしはこの問いに(少なくともここでは)答えることはできないが、それは、おそらく脱構築と哲学そのものの経験の核心にあるアポリアを保持しつつ、世界のなかでの、歴史のうちでの、起源の不在についての代補の運動がやむことがないことを証言し続けるものであるだろう。しかしある構造によっては説明されないものの事実性は、おそらく図式の有限な指定のなかで絶えず新しく見出されることになるのである。
 デリダにとって起源的であるのは、(ヘグルンドの定式化のなかでは、どこまでも超越論的含意が拭い切れていないように見える)空間の時間化の謎めいた抽象的な運動のようなものではない。起源的なのはむしろ(ヘグルンドが奇妙にも抹消している)代補なのであり、すなわち起源がつねにすでに抹消されていることの不可解な運動なのであり、それを理解させてくれるのは、高次の超越論的構造でもそれを脱構築する定義不可能な論理構造のようなものでもない。それを(おそらくは現象学や解釈学に似たかたちで)理解させてくれるのは、むしろ具体的なエクリチュールの諸形象や、技術的機械と装置の数々なのである。わたしが図式化と(あまりに場当たり的な仕方で)呼んでいるのは、無限な概念の限界に生起する隠喩と、この世界内的形象の短絡である。すなわち世界の創造そのものにも先立つような起源が、世界内的な諸形象の歴史的彷徨のなかに短絡することの循環性的運動。図式化とは、そうした彷徨のなかに書き込まれた線が、(おそらくは形而上学という出来事によって)その上から抹消線を引かれ、なおもその抹消線が痕跡として跡をとどめていることの発見以外のものではない。従って、図式はそのつどそのたびごとの短絡からなるものである。それはいつだってそのつど(ふたたび)発見される以外にはないのだ。
 わたしは図式化の模範的な例を『エクリチュールと差異』に収められたフロイト論のなかから引いてみたい。デリダはフロイトの「マジック・メモ」を扱ったテクストを注釈するなかで、人間の心の働きを理解するために活用される(機械装置との)類推が、可能になる条件そのものを問うている。情報をとどめるとともに抹消するものとしての外部装置の形象は、わたしたちの心的装置における記憶の働き方を理解する助けになりそうである(フロイトは、マジック・メモという子供向けのお絵かき板のような装置を、この類推のために活用している)。しかしその類推にはあきらかな限界がある。装置や機械が活性を欠くものであることによって、それが情報をとどめるためには、記入の表面のほかに、書き込むための手や外部のエネルギーが必要であるということ。これらのことは、外部装置を心的装置の類推として活用することに対して制限を課すようにみえる。《装置を機能させるためには、少なくとも両手が必要であり、そして、体系的な一連の動作、それぞれ独立した複数の発意の協同、複数の起源の組織化された多様性が必要になる》。
*9しかしデリダの発想は、ここで類推の限界とみえるものを、この類推を通じての(新たな)理解のための条件とすることである。どういうことだろうか。
 ここではまず(フロイトによって)、心を自発的でしかも受動的な、現前的でしかも痕跡的な、このいいがたい(概念化不可能な)働きを妨げるために、機械の不活性な形象が用いられている。そして次に、この類推の限界が、やはり機械とは区別される心的なものの固有性へと送り返される。デリダが拒絶するのはこの(再)送付である。デリダにとって類推の限界は、心的装置や機械そのものの有限性を理解するための条件として用いられることになるのだ。《書くためには、そしてすでに「知覚」するためには、複数でなければならない》。それゆえ、《純粋な知覚というものは存在しないのだ。なぜなら、書くことによって初めて、われわれは、つねにすでに知覚を――外的知覚であろうと内的知覚であろうと――見張っているわれわれの内なる審級(アンスタンス)によって書かれることになるからである。(……)エクリチュールの主体とは、マジック・メモ、心的なもの、社会、世界といった複数の層のあいだの諸々の関係からなるシステムなのである》。
 そして決定的なのは次の箇所である。

機械は自発性をまったく欠いているわけではない。機械と心的装置の類似性、機械の存在と必然性は、記憶の自発性の、このように代補される有限性を証し立てている。機械は――そしてそれゆえ表象は――心的なものの内部の死であり有限性なのだ。また、フロイトが問うことをしなかったのは、少なくとも世界のなかで記憶に類似し始めたこのような機械が、つねによりいっそう、つねにより巧みに、すなわち、この他愛ないマジック・メモよりもはるかに巧みに記憶に類似していくという可能性である。(……)このような類似――それは言い換えるなら、心的現象も必然的に一種の世界内存在であるということなのだが――は、死が不意に生に襲いかかるのではないのと同様に、記憶に対して突発的に生じるものではない。この類似が記憶を基礎づけるのである。隠喩とはここでは二つの装置のあいだのアナロジーであり、この表象的関係の可能性であるのだが、この隠喩はあるひとつの問いを提起している。(……)レトリックや教授法としての隠喩はここでは、堅固な隠喩によって初めて可能になる。堅固な隠喩とは、心的組織の有限性を代補するために、その組織におのれを付加する、代補的な機械の非「自然的で」、歴史的な発生のことである。有限性の観念そのものが、この代補性の運動から派生しているのだ。(……)個体的な心的組織、さらには種としての心的組織の後にも生き残るこの隠喩の歴史的−技術的生産は、心的現象内での隠喩の生産とはまったく別の次元に属している。(……)エクリチュールは技術の問いを開く。つまりエクリチュールは、装置一般に関する問いと、心的装置と非−心的装置のアナロジーに関する問いを開くのである。この意味でエクリチュールとは歴史の舞台であり、世界の遊動である。*10

ここでは無限な概念の限界に生起する隠喩が、その基底の堅固な物質的運動に重ねられていることがみてとれるだろう。ここには奇妙なほどヘーゲル的であるとともに反ヘーゲル的な(そしていうまでもなくハイデガー的な)、デリダのきわめてユニークな思考のタイプがある。
 機械は代補的であるがゆえに、すなわち起源的であることが不可能であるがゆえに、心的装置の有限性の「堅固な隠喩」であるとされる。しかしそれだけではない。機械そのものの方もまた、保護された理念の領域にとどまることはなく、技術は歴史の舞台のなかで、世界内的な形象のなかでの展開(彷徨)をもつ。そして機械は《つねにいっそう、つねにより巧みに》心的装置との類似性を亢進させる。なぜだろうか? その理由をいかに説明することができるのか。その理由がまさに隠喩として、あるいは隠喩の隠喩として――隠喩の隠喩としての機械として――与えられているのだ。技術の歴史が、ここでは隠喩の歴史として考えられている。思考がめまいを覚えはじめるまえに、デリダの表現をもう一度(何度でも)読み返すべきだろう。
*11
《隠喩の歴史的−技術的生産は、心的現象内での隠喩の生産とはまったく別の次元に属している》。わたしが痕跡の図式化と呼ぶものは、この「別の次元」に属するものを、「歴史の舞台」として、「世界の遊動」として、まさに世界内的で歴史的な(そしておそらくは「心的現象」的ですらある)形象のなかに呼び起こし、ひとつ(ないし複数)のイメージ(ないしその他の形象)が与える線を引くことなのである。その線は消された痕跡の上から再度引き直される抹消線のようなものでしかありえないだろう。たんにことがらに即したふさわしい隠喩を見つけることだけが問題なわけではない。デリダがいう意味での「堅固な隠喩」を、発見しなければならないだ。それは図式化を通して達成される。というのも堅固な隠喩は、デリダの表現の錯綜ぶりからもみてとれるように、実はこれ以上なく脆いものだからである。(過剰に圧縮して)一言で述べるとすれば、代補的機械の歴史的彷徨のなかから、形而上学の歴史における隠喩の退隠を図式化することが必要なのだ。もし仮に、世界内的形象のなかから具体的な線を引いてくることができないとすれば、わたしたちの無慈悲なまでにかぎりない歴史的彷徨から、有限な意味を引き受けることは不可能だろう――その引き受けるべき意味の有限性が、デリダにあっては「有限性の無限性」であるとしても、あるいはなおさらに。それができなげれば、「無限な有限性」という《ただひとつの領域しか存在しない》といってみても、アドホックな反対姿勢の表明以外のどんな帰結をもつというのだろうか(たとえば「時間の空間化」もしくは「空間の時間化」は、エクリチュールの隠喩的形象がないとすれば、どんな意味をもつことになるのだろうか)。
 ヘグルンドは「フッサールはこれこれのことを説明できない」、「ラカン派はしかじかのことを説明できない」と言いながら、自身がどんなことなら説明できるのかをあきらかにできていない。ヘグルンドの功績は、初期のデリダから晩年のデリダまで一本の線を引いたところにある。が、その線を「構造」もしくは「論理」として抽象的に定式化することで、その線が他の痕跡(代補、隠喩、退隠といった語彙に代表される、後期ハイデガーからデリダへと繋がるとともに分岐する一本ないし複数の線)をかき消してしまっていることに気づいていないようにみえる。

*1:『ラディカル無神論』、吉松覚・島田貴史・松田智裕訳、法政大学出版局、2017年、18頁。以下、出典の明記しないすべての引用は同書から。

*2:「差延」『哲学の余白(上)』高橋允昭・藤本 一勇訳、法政大学出版局、2007年、51頁。

*3:「ウーシアとグランメー」『哲学の余白(上)』115―116頁。

*4:同前、128―129頁。

*5:同前、135―136。

*6:認めておかなくてはならないのは、デリダの言語よりヘグルンドの言語の方がはるかに明晰であるということだ。もしかしたらデリダをある素朴さ(自明性)のうちに置き入れたことにこそ、ヘグルンドの功績を認めるべきかもしれない。その貢献と代償。デリダの思想にある脆さ、ある傷つきやすさを与えたこと。そしておそらくはデリダ自身のものである、ある素朴な想定、それを白日のもとに曝したこと。デリダ自身によるデリダの破壊。「ウーシアとグランメー」では、まさに形而上学と素朴さ(日常的自明性)の共犯関係が問い糺されていたのである。日常的自明性を形而上学的空間のなかに持ち込むことによるアポリアの生産。反対に、日常的自明性そのものを形而上学的空間のなかに引き出そうとするときのアポリアの再生産。この二重の共犯関係。おそらくヘグルンドはデリダ自身を破壊するにいたるまでデリダを用いているのだが、デリダと日常的自明性のあいだにある共犯関係を成立させているということは、評価すべき逆説である。

*7:『触覚、』松葉祥一・榊原達哉・ 加國尚志訳、青土社、2006年、240頁。

*8:「暴力と形而上学」『エクリチュールと差異(新訳)』合田正人・谷口博史訳、法政大学出版局、2013年、301頁。強調省略。

*9:「フロイトとエクリチュールの舞台」『エクリチュールと差異』454頁。

*10:同前、458―459頁。

*11:ところで思考がめまいを覚えるとしたら、その感覚器官はどこあるのだろうか?